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藤田和日郎トークショー - YouTube
見ていて「そういえば月光条例全部読んでないな」と思い立ち、読んできた。
- 作者: 藤田和日郎
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2014/05/16
- メディア: コミック
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以前も書いたが、この漫画がイマイチ弾けなかったのはやっぱキャラクターの弱さだと思うんよなあ。主人公の月光、鉢かつぎ、エンゲキブ、イデヤ・ペローや桃太郎を含めてメインを張るキャラが実に弱い。前回はこれを「説得力がない」と書いたが、むしろキャラクターが立っていないのは説得力がないことよりも辛い。30巻近い物語を読ませるのはストーリーそのものよりキャラクターに依るところが大きいからだ。んで、その弱さってやっぱ、設定だよなあ。
月光、チルチルはねえよ。いくらなんでも。当初予定していた「泣いた赤鬼」が権利者により使えなかった、というのは致し方無いことなのだが、それでもやはり月光は「鬼」であるべきだった。物語の不条理、悲劇への「怒り」 力を持つがゆえに、あるいは思いを伝えきれない「孤独」 これらを体現できるのはやはり「鬼」しかないのだ。一寸法師の「でも、大好きなんじゃ!『仲間』がな!そんなあふれ出る『大好き』を、口でうまく言えなかったら月光のように全部背負い込んで、だまって行くしかないじゃろうが!!」というすごくいいセリフがありますよね。この浪花節はやっぱりメーテルリンクではないでしょ。なので宮沢賢治を引用することで、月光=チルチルを「デクノボー」という、言ってみれば「雨ニモ負ケズ」を原作としたキャラクターに変えるしかなかった。だからやっぱチルチルは失敗してんだよ。なんか漠然とした「鬼」でも良かったんじゃないかな。
更に大きな失敗はラスボスのオオイミ王だ。はっきりいってオオイミ王はなんの面白みもない、凡庸どころかものすごくつまらないキャラクターだ。一見フィクションを否定するかのように見えて、実は誰よりもヒーローに憧れていたという…。これがなんで30巻近い長編のボスキャラなんだ? いや、アラビアンナイト編で月の使者が姿を現した時はかなり期待したんだ。これが次々にフィクションを消していく。すごく面白くなりそうだったのに、ダメだった。
フィクションの中でフィクションを否定する、メタドラマ的な展開を描くのならば、否定する側はもっと超越的で、さらに言えば虚無的であるべきじゃないのか。「物語なんて必要ない」「絵空事になんの意味があるのか」と、フィクションを強烈に否定させて、そこから物語の意味性、フィクションが人間に必要なものだ、という結論を導き出すことにメタドラマの意味があるんじゃないの? 逆に言えば、そうじゃなかったらメタフィクションなんかやる意味がない。
でも、そうできなかったのもわかる気がすんだよな。藤田和日郎は日本でも有数の「誠実な」漫画家だと思う。それは広げた風呂敷をちゃんと畳もうとするところやハッピーエンドで〆ようとするところによく現れている。例のマンガやゲームが消えていく展開で、「うしおととら」「からくりサーカス」も消すじゃん。そういう誠実な人って、やっぱ創作の中でも自分が好きだった物語を否定出来ないんだろうなあ。これがもっとクールだったり、誠実じゃない人間なら出来るんだよ。その誠実さが、メタフィクションには向かなかったんかもしれないねえ。
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- 出版社/メーカー: 秋田書店
- 発売日: 2014/08/20
- メディア: コミック
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